私のように、一度でも作家を志したことがある人なら「ファミレスで原稿」という言葉に甘美な響きを覚えるはずだ。「スタバでブログ」では無い「ファミレスで原稿」だ。
何を突然こんな話をしているかというと、今ファミレスでコーヒーを啜りながらこの文章を書いているからだ。実際、Twitterを見ていると、ファミレスで執筆作業に勤しむ作家は多いようだ。きっと、遅い時間まで空いていて、低価格なフリードリンクで長時間席を確保出来るというのもあるのだろう。
残念ながら私は作家では無い。文章で飯を食っていない。私の飯の種はプログラムとコンフィグだ。今書いているのは、ちっぽけなブログだ。
「スタバでブログ」という揶揄があるように*1、最近はブログの原稿*2を、スタバのようなオシャレなカッフェー(あえてこう言う)で書いて、それでお金を稼ぐことがトレンドになっていて、日夜「ブログのアフィリエイトで儲ける!!」「こうすればアクセス数が伸びる」とか、そういう、飯の種にもならない情報に溢れている。そこには、どこかノマドでセレブリティな雰囲気を感じるが、実際「原稿」で飯を食っている人からすると、それがどのように見えるのか、時折不思議に思う。
なにせ、彼らの発信する情報(これには私も含む)には、全くといって良いほど面白みも無く、個性が無い。彼らは「原稿」を書くことが目的では無く「オシャレで楽な方法で、お金を稼ぐ(ページビューを稼ぐ)」ひいては「満ち足りない承認欲求を満たす」ことに繋がっているからだ。だから、そういうブログには、読んでいて何の面白みも感じないし、二度と読みたいとも思えない。Googleでヒットするからアクセスするだけであって、ブックマークに入れたいとは思わない。RSSなんて購読したいと思うはずが無い。
だから、私は、可能であれば「原稿」を書くことを目的にしたいと思っている。(とはいえ、このブログはただの日記だが)もちろん、お金を稼ぐことは良いことだし、それを否定する理由なんて、1グラムも持ち合わせていないが、はっきり言って、アクセスアップの方法をググったり、小手先の対策をするぐらいなら、文章を書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書くことが大事だということは、私みたいなブロガーにもなれない、ただの社会の歯車にだってわかる。
気がついたら、話が横道にそれていたので、閑話休題。
作家がファミレスで作業するのは、過集中を防ぐ意味があるそうだ。
書斎で原稿書くと過集中おこして人格が壊れるんだよ。
— 鈴木輝一郎 (@kiichiros) 2016年4月13日
同業者知人が毎年だれかそれで首つった。
だから鈴木輝一郎小説講座の受講生には「趣味を持て」って言うようにしてる。 https://t.co/BYKaAbucdM
私も過集中することがあり、原稿やプログラム、写真編集に夢中になっていると時間の感覚が麻痺して、気がつくと深夜を迎えていることがある。翌日は、その副作用か体がだるく何も出来なくなる。
というわけで……ブロガーよ、ファミレスに集え!!(どうやっても落ちないんだよなあ……攻撃的な文章が入ってしまって不快な思いをした方がいらっしゃったらごめんなさい)