今まで「この○○がすごい」シリーズを買ったことが無くて生まれて初めて「このライトノベルがすごい2015」を買いました。
電車の中でぱらぱらと流し読みをしていたら……「あれ?私みたいな年齢になってラノベ読んでるのっておかしいの?」と感じました。「いやー歳とったわー。おっさんだわー」と自称する行為は大二病とも揶揄されますが「いや、もう4年生だし。本当なら社会人の年齢だし」というのは関係なく、雑誌の作りが全体的にティーンエージャーに向けられているなと感じたのが理由です。
文中にも「ライトノベルのメインターゲットは15歳から18歳」と触れられていてなんとも言えない気持ちになりました。いいじゃん、何も考えたく無いときに読むのが良いんだよ……。
よくよく考えると、私は小学・中学序盤時代は小説というものが嫌いでした。読めませんでした。マンガばかり読んでいました。とにかく文字が嫌いで今みたいにブログを書いていること自体も信じられないのでしょう。中学3年生ぐらいになってクラスの仲の良い女性からマンガと一緒にライトノベルを借りたのが本格的に読み始めるきっかけになったんじゃないかなと。ただ、それ以前からコンシューマゲーム機に移植されたギャルゲーをプレイしていたので(D.C.P.S. ・水月〜迷心〜・To Heart2 とかやっていました(東鳩2は移植じゃないですが)) この界隈にいつ頃から本格的に足を踏み入れたのか記憶は定かではありません。
高校生になってから通学の空き時間や暇な時間に、日本文学(何を読んだかも忘れましたが)やライトノベルを読むようになりました。当時は主人公やヒロインに感情移入をしながら読んでいたことが記憶に残っています。高校時代のお小遣いが5,000円だったのですが、そのほとんどをライトノベルかマンガに費やしていました。
当時は作品を選ぶのも本屋に足を運び面白そうな本を探したものですが、今ではネットで話題になっている本やアニメ化した本を選ぶ傾向にあります。もちろん全体的に使えるお金のパイは広がっているので正しくは乱読なのでしょう。最近は積極的に本屋に足を運び面白そうな本を手に取るようにしています。しかし腰を据えて読むのはやはりメディアミックスされている作品が多くなったと思います。
話がわき道にそれていたのですが「このライトノベルがすごい」で選ばれるような本を読まなくなったのは、歳を重ねて主人公の目線で物事を考えられなくなったからだと思います。物語を一人称視点で楽しむか三人称視点で楽しむかで作品の評価は大きく分かれます。たとえば、あまりにへたれな主人公を一人称視点(主人公視点)で読んでいればたいていの人はイライラします。三人称視点で見れば主人公へ感情を寄せる女の子を見てにやにやできます。
「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」を主人公(高坂京介)の視点で読んでいれば高坂桐乃は「鬱陶しい妹」ですが、三人称の視点で読めば「主人公への気持ちを照れ隠しする女の子」です。あの作品自体が対象年齢が高めに設定されていることや、私の観測範囲内では若年層で「俺妹サイコー」と言っている人は少なかったので、あながち間違っていないんじゃないかなとも思っています。
「主人公が高校生」という作品自体が飽和状態とも言えるのですが、自分語りのように綴られる小説が増え、さらに一人称視点で作品を楽しめなくなったんじゃないかなと思う次第です。何より三人称視点で語られる物語や主人公が非高校生な作品がランキングの上位になかったことがより「あ、やっぱり違うんだな」と思わされた原因だったりもしました。
「いい年こいてライトノベルなんか読んでるんじゃねーよwww」という同調圧力には反骨精神をむき出しにしていきたいですが(まともな本も読んでますし(最近読んでないけど)) なかなか面白いライトノベルに出会えないと「それもつらいな」と思ったところで本日の日記は終わり。