私がまだ幼い頃、具体的な年齢は定かでは無いがカメラというものに興味を持ったことがあった。そんな時、祖父が私にヤシカのフィルムカメラをくれた。鉄でできたフォルムと輝くレンズは私の好奇心をくすぐった。しかし、まだ難しいことがわからない年頃だったのか、次第に興味が薄れ、カメラの行方はわからなくなってしまった。
話は現代に戻る。光学機器メーカーについてそれなりに知識を蓄え、ペンタックスのミラーレス一眼を買うに至った私を見て「そういえば、あのカメラはどこにいったんだ」という話になった。思い当たる箇所を探してもカメラは一向に見つからず、最終的には捜索を断念していた。
そんなある日、祖父は自宅で血を吐いて倒れた。精密検査の末、転移はしていないものの胃がんであることがわかった。幸いにして手術は成功したものの胃のほとんどを摘出、祖父のやせた姿を見ると心が痛んだ。
しばらくして自宅に戻ってきた祖父は、祖母に看護される生活が続いていたが次第に体調は回復。堅い食べ物は食べられないものの、簡単な畑仕事や車の運転は出来るようになった。快方に進む祖父の姿を見て、私は安堵した。
そんなある日、妹から「祖父がカメラを買った」という話を聞いた。「へ?あのおじいちゃんが?」と最初は驚きを隠せなかったものの、確かに家の離れに住んでいる祖父の元に訪れると、そこにはオリンパス製のコンデジがあった。
時系列がまた少し戻るが、ヤシカのカメラについて祖父はこう言っていた「家族の皆には黙って買った。もちろん、隣近所の人にもだ。なんでかっていったら“そんな無駄遣いをするな言われるから”とか“当時は珍しかったから変な目で見られた”とか」さすが田舎……と思うようなエピソードだった。
しかし、そのヤシカのカメラ以降、祖父がカメラを買うことはなく、次第に情熱は薄れていっていたのだろう。そこに、巨大なレンズを取り付けたカメラを持つ私が現れ、きっと祖父は忘れていた何かを取り戻しつつあったのだと思う。
そこに胃がんという、命の危機が襲ったのだ。激しく体を動かすことができなくなった祖父は新たな趣味を見つけようとしたのかもしれない。はたまた、自分の写真を残したいと思ったのかもしれない。ただ、その心に火をつけたのは、紛れもなく私であると自負している。
こうして、私にカメラを教えてくれた祖父に、今度は私がカメラへの熱を取り戻させたということだ。
もちろん、祖父が買ったのはハイスペックなカメラではない。年金生活をしている祖父が購入できるミドルハイのコンデジだった。だが、カメラの性能なんて関係ないのだ。問題はファインダーを覗くときに写る本人の意思である。